2001.01.02
朝、母の分だけだったのだが、年賀状を出しにポストへ。洗濯と風呂掃除。
母が駒込へ出掛けてからも、ひたすらビデオを見ていた。
夕方、洗濯物を取り込んで、掃除機をかけた。
4時半を過ぎて、ようやく絵の具を広げたが、水滴を落としたあともあるし、
岩も全然描けなくて提出は諦めた。この意志薄弱ぶり。やっぱりヤバイかも。
2日目にして既に意味不明です。
母が駒込へ出掛けたのは一人暮らし中の兄に会うためです。
でも、このあと次第に会いに行っても留守にしていることが多くなり、
いつの間にか会いにも行かなくなりました。
問題はその後の部分、初めは年賀状を手作りしたのかな?と思いましたが、
正社員生活最後の年賀状は、印刷注文したのを思い出しました。
蓄光させて暗いところで見ると絵が浮かび上がるという凝ったものでした。
では、なぜ絵の具で?しかもなぜ岩を描く??
しかも提出って一体どこへ???
そういえば絵を習ったこともあったかも?よく覚えていません。
夜間に建築パース(住宅チラシ等に載っている建築物の外観図や室内図)を
手描きする講座に通っていたことがあったけど、こんな時期だったっけ?
だけど岩が構造物に?・・・庭に置く?・・・謎です。
本日のお菓子はとら豆の甘納豆(詰め合わせで買ったのかな?母の好物だから)。
ココナッツクリームパイアイス、いかっぷり、グレープフルーツゼリー。
昼に肉じゃがカレーと書いてあるけれど、肉じゃがをカレーにリメイクしたのか、
そういう商品なのか、よくわかりません。
2001.01.03
朝、洗濯と風呂掃除。母は国分寺へ。
映画「シンドラーのリスト」を観た。
才能のある人だって、ただの歪んだ馬鹿に潰されてしまう。
ずるくて強引で汚いものが残って、どんどんあふれて。
シンドラーが1100人救っても、「もっと救えたのに・・・」と泣いていた。
やっぱり人はできうる限りの手を尽くす使命があるんじゃない?
母は・・・買い物かな?
なんか偉そうに人間の使命について語っていますが、今の心情では、
使命は人それぞれ。なすべきことがある人もいれば、そうでない人もいる。
わたしは完全なる後者でした。
本日のお菓子はマロングラッセアイス、大納言と白花豆の甘納豆、かきもち、豆板。
マキシムのシガール、ラングドシャ、カスタードプリン。
クレメンタイン(オレンジの一種らしい)ゼリー。
2001.01.04
朝、洗濯&風呂掃除をしながら、一人暮らしだったら自分の好きな時間に
風呂に入って、そのまま洗濯できるのに。
母と一緒だと洗濯したかったら後に入らなきゃいけないし、
早く入ってもらわなきゃいけないし、そうじゃないと、
自分が朝の清々しい時間を風呂の残り湯をくむのに使わなきゃなんないじゃん!
「福島に行って孫の子守でもしてろー!」とよっぽど言いたくなった。
自分がどこまでも自己中心的な生き方へ傾いてるのに怖くなってくる。
ひどい娘だ。
そんなに夜に洗濯がしたかったのか?
すでに母親が疎ましくてたまらなかったみたいですね。
高校を卒業してすぐ父親との離婚を勧めたのは自分です。
ひどい父親だったのに、それでもまだ一緒に暮らそうとしていた母を、
人として情けないとすら思いました。
なぜ自分の人生を快適に生きようと努力しない?
今よりずっと、女が一人で生きるのが難しかった時代。不遜でした。
そこを強引に連れ出して、家を出ました。
未婚の自分が区役所に離婚届をもらいに行きました。
夜間大学のクラスメイトから「夫婦にしかわからないことがあるんだから、
コドモが口を出すのはどうかな?」と苦言を呈されたことも。
だから余計に、母の老後に自分が責任を取らなきゃいけない気持ちが強かったし、
捨てるに捨てられない重圧に葛藤していました。
自縄自縛ってやつですね。
でも屈辱の生活に甘んじる母親を見ているのが、本当に嫌だったんです。
自分の身近な人生モデルが、この人だとしたたら、未来は真っ暗・・・。
もっともっと、幸せを感じられるような生き方をしてほしかったんです。
とはいえ、イヤダイヤダと思っていても、結婚したら、子供を持ったら、
自分も母親みたいになっちゃうのかも、という予感めいたものも当然ありました。
不幸の連鎖を食い止めるために、自分が選んだ人生は・・・おいおいわかります。
本日のお菓子は、昨日に引き続き、マキシムのシガール、ラングドシャ、
かのこミックス、アプリコットゼリー。クレームパフ×2。
ゼリーが今でも大好きですが、この頃はフルーツが丸のまま入っているタイプが
詰め合わせになっているものを、自分宛にお中元やお歳暮で送っていました。贅沢。
現在は、スーパーのミニトマトゼリーで大満足です。
朝からたらこのおにぎりを4個も食べています。
おにぎり握ってもらっておいて、文句ばかり言う。罰当たりぢゃ。
今更だけど、ごめんなさい、お母さん。