日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

過呼吸パニック

2002.11.30(土)

勉強してはビデオを観る。(派遣会社)TTで申し込めばよかったと、

いろいろ計算してみたら料金が倍くらい違って、ますます落ち込んだ。

生きること自体にお手上げ。誰かが核兵器でも落としてくれたら、

自殺する手間が省けるのに・・・と、最期まで人頼み。

 

リサーチ不足。比較・検討して選ばないから、人生で多くの無駄遣いをすることに。

 

戦争や自然災害で家族を亡くして無念な方(かた)たちには不謹慎な話だけれど、

生きる気力も無いし、かといって死ぬ勇気も持てない人にとっては、

地球を破壊してくれる第三者の出現が救い。誰かに世界を終わらせてもらいたい。

 

 

2002.12.01(日)

朝、隣の駅まで歩こうと思っていたけれど、雨がパラパラしていたので止(や)めた。

昼はロッテリアで、ポテトと新しいシェーキを。

これが、冬というのに下が氷で、上しか食べられず。

夕方、新しいお菓子をいろいろ買って行った。ののは風邪をひいていた。

 

 

2002.12.02(月)

朝、洗濯して行くと学校へ行くのが遅れてしまう。もう1回したかったが打ち切り。

そういえば、コンセントを抜いてくるのを忘れちゃったよ。ごめんね。

16時半までと思ったが、18時までやっちゃった。

ののの転勤と引っ越しとクリスマス祝いを兼ねて、手帳でも贈ろうと思うが、

なかなかいいのがない。

 

 

2002.12.03(火)

母も立川へ行くというので、11時頃に家を出た。

伊勢丹高島屋を見て、1h後グランデュオで会おうと約束をして、

失業保険の説明を受けに行ったが、実際は2hもかかって、

母には済まないことをした。とんかつを食べて帰宅。

 

冬空の下、待たせて申し訳なかったです。

 

 

2002.12.04(水)

朝から学校へ。昼にFJさんに電話した。今日も18時頃まで勉強した。

帰りの拝島行きの急行で立って本を読んでいたら、急に気分が悪くなり、

1つ前の駅で我慢して降りなかったら呼吸が苦しくなって、

(電車内で)座り込む前にどうにか最寄り駅に着いてホッとした。

しばらく体が硬直して動けなかった。

 

人生で最初の過呼吸の発作だった。手足がしびれるように引きつって、

何が起こったのか分からなかった。寒いのに脂汗が止まらなくて、

体が動くようになるまで、ずっとホームのベンチから立ち上がれなかった。

 

そもそも「過呼吸」という言葉を知ったのも、もっと後(あと)だった気がする。

この頃、口呼吸を腹式呼吸になおすほうがいいという話を聞いて、一所懸命

おなかの底から息を出し切る練習をしていたので、吸い込む量が足りなかったのかと

思っていた。それとも、資格試験に落ちたストレスと、就職できない不安が原因?

 

 

2002.12.05(木)

ビデオを観ては勉強。もうすぐ試験が終わってしまったら、働いていない口実が

ひとつなくなってしまうなぁ、と余計なことばかり考えて、気もそぞ(漫)ろ。

夕方「ニュースの森」を見たら森田さんがお休みだった。昨日からみたい。お大事に。

 

気象予報士の森田さんのお天気コーナーを見るのが好きだった。

たいていの天気予報は、たとえ外れても次の日には何事もなかったように振る舞う

から、自分が見間違えたのかと錯覚するけれど、森田さんは外したらちゃんと

謝ってくれる。知らんぷりしないところが潔くて、かえって誠実さを感じられた。

 

 

2002.12.06(金)

学校へ行った。「ぐーぴたっ」を持って行こうと思っていたのに忘れてしまい、

お昼をまた食べなかった。でも、今日はいつもより早く帰ったので。

帰ってから久し振りに素ラーメンを食べた。まんじゅう、チーズ、柿とりんごも。

なんとなくのどが心配。今度こそ風邪をひかないようにしなくては・・・。