日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

主婦のお値段

2005.10.15(土)

朝はチーズのせ(イングリッシュ)マフィンと、たらもサラダ。りんご+生クリーム。

新聞紙を捨てに行ってから、ジャスコの大きい所(大型店舗)へ連れて行ってもらった。

雨が強くなってきて、洗濯物もあきらめたが、(降り込む)方向が違っていて助かった。

帰ってから抹茶パウンド(ケーキ)+生クリーム、ラーメンも。

 

「たらも」はたらこの「たら」とじゃがいもの「も」かと思っていたら、

ギリシャ語で魚卵の塩漬けを「タラマ」と言うところから来ているんだって。ふ~ん。

 

 

2005.10.16(日)

朝は照焼ハンバーグ、大根おろしを入れたのが生っぽさを感じさせ、

のののはし(箸)はあまり進まず。

名古屋駅で切符を取って、(エクスプレス)カードをののに返した。

栄に行って松坂屋の北海道展を見たが、何も買わず。あほぼん寺にも入らず。

ダイエーで買い物。ののとの意見が食い違い過ぎ。

ごはんはののに勝手に作って食べてもらった。

もう献立考えるのうんざり!1週間でこれだから・・。主婦になったら地獄だ。

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さらに「行列のできる(法律相談所)」を見ていたら、奥さんが働きたいと言ったのを

聞いた旦那が勝手に仕事を辞めてしまった場合、離婚できるのか?という問題が出てて

ののに「女だったら主婦になってみたかった?」と聞いたら、「やってみたい」と言う

ので「じゃあ、会社やめて東京に帰って来なよ」と言ったら、突然「主婦代」を要求。

それに対して「もしわたしが主婦になったって、お金くれないとおかしいよね?」と

返したが、わかっていないようだった。

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「男と女と平等に生活費を払うべきだ」と言うが、「それなら家事も完全に折半して

くれるのか?」と問うとモゴモゴするし。女に家事・炊事をやらせれば、自分は仕事に

打ち込めて、残業して給料も高いんだから、生活費を多く出しても当たり前だろう?と

言ったら、最後は常識的にまとめようとしたが、結局ののは主婦業に報いることは

出来ないし、共働きでも自分が生活費を負担することに不満なんだ・・・と、

本心を見た気がした。こんな男に世話になってたまるか!と思った。

やっぱり東京で仕事を見つけなくちゃ。自分は自分で生活を立てておかないと、

いつかまた父親のように恩を着せられる。1週間でわかってよかった。もう迷うまい。

 

ごはんを作るのが好きなわけではないけれど、献立を考えるほうがもっと苦手。

むしろ献立(と材料)が既(すで)にあって、レシピの通りに作るだけだったら、

それほど苦痛には感じない気がする。それほどに献立作成が苦痛。

 

現在「家事手伝い」という名目で引きこもり生活を送っている自分は、

居候(いそうろう)させてもらっている彼氏に対して頭が上がらない気持ちがある一方

家事代行サービスに頼むことを考えれば安上がりでいいだろう、とも思う。

 

主婦のお手当てが一体いくらになるのか、いわゆる「名前のない家事」も含めれば

子育てをしている人は特に、膨大な料金が発生するはず。

それを払える金銭的余裕と心の大きさを持つ夫が、全国でどれほどいるだろう?

 

 

2005.10.17(月)

ののを見送り。バスに乗って、まん(が)喫(茶)→東京へ。静かでよい車両だった。

おばちゃんは既に帰ってしまっていて、ケーキを買って帰るつもりだったが中止。

TT社から磐田でCATIA V4の仕事があると連絡をいただいたが、

今さらV4??と思い、お断り。

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その前にSS社からも電話があったが、IC社での仕事だと言う。

げ、戻れるわけないじゃん!と思ったが、部署は違うのだって。

I-DEASだと言われたが、出来なくても大丈夫だと言う。本当かよ?と思ったが、

エントリーしてもらう。夕方には「明日、面接」という電話をいただいた。

こんな形で再び豊洲に行くことになろうとは・・・。

 

「未経験でもOK」という職場に本当に未経験で飛び込んで、入ってから学ばせて

もらえると思うと大間違い。自分から食らいついて行くくらいの向上心がないと

難しい気がする。親切に教えてもらえるような余裕がある職場は、ほぼ皆無。

 

 

2005.10.18(火)

16:40の待ち合わせだと思ったが、午後4時と14時を聞き間違えたのではないかと、

ずっと電話して確認しようか迷っていた。メモはちゃんと取らないとねぇ。

でも、こんな遅く面接するということは、他にも何人かいて選ばれる立場であろうから

I-DEASが出来る人なんていっぱいいて、自分は落とされるかもなぁと思ったら、

別に面接がフイ(毀)になってもいいんじゃないか?という気持ちに。

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1時間くらい前に着いて、インターネットを見ていた。

10分前には1a(出口)の階段下で待っていたのだが、40分になっても来ないので

上にあがったら、すでに来ていらした。面接の人は厳しい人だと聞かされ、不安に。

IS社へ行く途中で、代理店のSTさんが歩いてきた。最後に挨拶しなかったなー、と。

目は合ったが、それだけ。

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信号を隔てたほうの棟で面接することになった。

なかなか現れなくて、もしかしてあの人かなぁ・・と思っていた人とは違う人だった。

怖い人たちではなかったけれど、厳しいらしい。早とちりで怒ったりするのは

OTさんと同じで忙しいから?つまり、ちゃんと教育していないのに

「なんで出来ないんだ??」と怒られてしまうということなんだろうか?

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プログラミング出来ないのが痛いよなぁ、という感じだったが、自分もそう思う。

V5のマクロがさっぱりわからなかった時、サポートに聞くべきだったよなぁ・・・。

プログラミングとか、自分でシステム考えるのはちょっとつらいかも。

不合格と言われたほうがラクかなぁ、と思ったり・・・。

 

面接の時に、のちに上司となったKWさんが「自分は怒りっぽい」と、前もって

予防線を張っていたっていうことかな?だから「怒らせるな」という意味だったのか、

「怒るけど、あんまり気にするな」という意味だったのか。

とにかくこの時点で、求められている基準を満たしていないことに気付くべきだった。

 

 

2005.10.19(水)

SS社から電話かと思ったら、KGさんだった。正社員はイヤだと言ったのに、

覚えていなかったよう?でも、いろいろ人脈があるので、当たってみてくださると。

SS社からは14時頃に電話が来た。結果はまだ出ないと。

自分でまだ2人目だったそうだから、しょーがないよね。

IS社の誰かに自分のことを聞いたりしてるのかしら?と、ちょっと不安。

でもまぁ、採用されなくても仕方なかろう。

プログラミングも解析も、I-DEASも経験が無いんじゃーねー。

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でも、この先も転職活動を続けるなら、パンツスーツ1着では持たないと思い、

しまむらへ。2着購入したが、1着は同じようなダークグレーになってしまった。

もっとはっきりとグレーなほうがよかったが、なかったの。スーパーに寄ったが、

何も買わず。HSさんにメールしたが返事がない。またメールセンター(で止まってる)?

 

最初に3Dへの道を開いてくれた前職での派遣元・MT社のKGさん。

決して良い辞め方をしなかったのに気にかけてくださって、ありがたかった。

 

 

2005.10.20(木)

↑ (HSさんは)すごい遅くまで残業だったんだって。

午前中は、まードラマ観て、出掛ける段になって上着がないので、しまむらへ買いに

行くことにした。着ると今度は「インナーがないよー!」と、また騒ぎかけたが、

ないものはないので。 早目に町田へ行くつもりが、着いたのは18:10。

HSさんの家は駅から5分くらいなんだそう。いやー、でも人が多いせいか、

すごくひら(開)けて見えた。鳥良というお店で、手羽先などを食べた。

HSさんのほうが大人だね・・・。活動的だし、付き合いもいいし。尊敬する。

 

この間から、プライベートっぽく連絡を取っているHSさんが誰なのか、

ずっとわからなかったけれど、FDさんが結婚してHSさんに名字が変わったのか!

IS社を辞めた後にも会ったことは、全然憶えていなかった。

 

 

2005.10.21(金)

昨日、飲んでいる途中でSS社から電話が来たが、今日は結局来なかった。

来週から働く可能性がないとなると、もうダメかも。

原当麻(相模線)のお仕事が残っていたら、登録しに行こうかな・・・。

天袋を整理して、自分のバッグを突っ込んだ。

茶碗が明らかに洗えてなくて、びっくりした、というか愕(がく)然。

何を見ているんだろう?・・・と思って、落ち込んだ。

 

気分が落ち始めると茶碗の洗い残しさえ落ち込みに拍車をかける。弱(よわ)メンタル。