日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

コドモ界の洗礼

2006.11.11(土)

朝はチャンポン。ののに炒めてもらった。たっぷり食べられて、おいしかった。

9時過ぎ、母に電話した。昨日は病院が19時頃までかかったんだって。

10時前、施設から電話をいただいた。採用とはいうが、試験的なものかな。

週4日で1日7h。28hだと厚生年金には入れないんだって。残念だが仕方ない。

給料も12万円前後として、家に5万、水道光熱費+家賃で2万くらい、

あと保険も自分で払うから、お小遣いはほとんどないなぁ・・・。節約しないと。

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と言いつつ、明日は東京でののと落ち合って遊びに行くのに、

あまり変な格好もなぁ・・・と思い、しまむらで服を買っちゃった。

早く寝るつもりだったが、インターネットして、洗濯物を乾燥させて・・とやってたら

あっという間に時間が・・・。あまり早寝できず。

 

まさかの希望職種への転職成功。向こうも34歳で未経験者だから、採用するには

不安で、なかなか決まらなかったのだろう。なんなら、前の人がすぐに辞めちゃった

穴埋(あなう)めとかだったのかも。どういう理由にせよ、入り込めただけラッキー。

 

 

2006.11.12(日)

洗濯を1回して東京へ。出かける直前、冷蔵庫に牛肉を入れっ放しなのに気付いた。

電車を1本遅らせた。食べる物を買うヒマもなく。

(車内が)混んでたから(買わなくて)よかったけど。

東京に着いて、有楽町→銀座1丁目へ。ここでロッカーに荷物を入れたが、

1度豊洲から東京駅八重洲口行きのバスに乗ってみたかったのに、失敗した。

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ららぽーと豊洲の食べ物屋さんはどこもいっぱいで、地下鉄そば(傍)の

シエルタワーという所に出来た、「豚道楽」というお店で豚丼を食べた。

銀座に戻り、デパートを見る。ののは焼き鳥を買った。通っていた時は、どうしても

見つけられなかった「(大角)玉屋」という大福のお店で、ようやく買い物。

東京駅まで歩いて、ののを見送り、久々に近所のドラッグストアに寄った。

 

無責任な即日退職から1年以上。豊洲の再開発具合を見に行った?

すっかり整備され、オフィスタウンというよりは観光地化。目を瞠(みは)る変貌ぶり。

 

 

2006.11.13(月)

いくつか病院を調べたけれど、どこも1週間以上はかかるようなので、

1番行きやすい立地の、最寄り駅前にある総合病院にしておいた。

しっかし、一般検診で何の項目を受けたいかリストにしておいたりしてくれないと、

選びようもないのでは??となりのジイさんらしきものを見たが、確信はない。

(家の)近くだと、こういうところで(ご近所さんに)バッタリとか、いやだよね。

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採血検査にごはんを食べて行ってはいけないと知らず、明日もまた行く。

領収書もよくわからなくてもめた。普通に自分宛てでもらって良かったのだろうか?

世の中には、あって当然と思うものが割とない。国民年金が市役所で払えないのも

不便。公共料金みたいなもの(と同じ)だと思ってしまうのだが・・・。

母の病状はよくならない。食事とか手伝わなきゃなんだが・・・つい・・・。

 

施設は集団生活なので、伝染性の病原菌を持っていないという証明書が必要だった。

当たり前のようにクリア出来ると高(たか)を括(くく)っていたのに、まさかの保菌発覚。

 

 

2006.11.14(火)

採血検査のために朝食を抜く。

帰りにスリーエフ(コンビニ)で、おでんやらおにぎりやら買って食べちゃった。

スーパーへ買い物に行けば、ついでにしまむらで見たコートを買ってしまうし、

なかなか節約できない。

 

 

2006.11.15(水)

母はいっこう(一向)によくならない。洗濯を2回していたら、スーパーに行くのが

遅くなった。焦って帰り、武蔵野線で吉祥寺経由、

(施設に)32分には着いてしまい、(駅の?)ベンチで時間つぶ(潰)し。

それでも早いので遠回りしたが、着いてからまた玄関で・・・。

寮長→MGさん→MRさんに引き渡され、ショートステイ(SS)の説明をしていただいた。

MRさんは風邪でつらそうで申し訳なかった。だんだんヒザ(膝)が痛くなって困った。

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あいさつ(挨拶)してもらうと言われドキドキしたが、

実習生が今日から2人入るということで混ぜてもらったので、なんとなくテキトーに

す(済)んでよかった。しかし、中高生にはあいさつしていないので、休みの日とか

またやらされるんだろうか?子どもは・・・キツそうだ。「おばはん」と言われたし。

女の子もだけど、人のどーしよーもないことを平気でつつ(突)くね。

そんな子は昔から多かったが。

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半日でも、どっと疲れた。・・・上に、渋谷で急行に乗り間違えたと思って

席を立っちゃうし。三鷹からヒョウ(雹かアラレ?霰)が降ってくるし。

最寄り駅に着いてもザーザー降りで、自転車を押したり乗ったりしながら、

びしょ濡れになって帰って来た。健診のことやら住民票のことやら、

頭の痛いことばかり。週末は母のこともあるし、家かも(磐田に行けない)なぁ。

 

検査の結果が出る前に出勤することになったみたい。

向こうもまさか前段階から引っ掛かるとは、疑いもしなかったに違いない・・・。

10代の少年少女から見れば、34歳はまご(紛)うことなき「おばさん」。

しかも20代の実習生と並べられ、おばさん度がますます際(きわ)立っていただろう。

 

 

2006.11.16(木)

11時~15時過ぎまで会議だった。お昼ごはんは食堂で支給された。

MGさんは3週間目というのに、子どもの事も知ってるし、

独立してごはん食べてるし、すごいよねぇ。見習わないと。

土日休みという話でONさん(寮長)はおっしゃっていたが、

誰も週休2日なんて取っちゃいない。ので、とても3連休にしたいとは

言えなかったが、とりあえず2連休を認めていただいた。すんません。

 

MGさんは大学で児童福祉に関連する勉強をしていたみたい。

この施設の古株の、元職員で今は嘱託(しょくたく)みたいなおばあさん先生と、

MGさんが通っていた大学の教授に交流があるようだった。

まだ20代前半だったせいもあるのか、子どもたちと打ち解けるのも上手だった。

 

MGさんは10月の面接ですぐ採用が決まり、そこからずっと働いていたと思われる。

もう1人がなかなか決まらなかったか、いい人がいたけれど振られたかして、

自分にお鉢(はち)が回って来たみたい。妥協の末の採用だったとも言えるが・・・。

 

土日こそ、子どもたちの学校が休みで人手が要(い)るのに、休みたいとは言いづらい。

彼氏が近くに住んでいれば、休みが1日でも構わないところだが、

静岡まで2万近くかけて行って、日帰りで帰るのはあまりに勿体(もったい)なかった。

 

 

2006.11.17(金)

朝9時出勤。三鷹で間違えて降りてしまった。

井の頭線が、朝は全部急行にしちゃってるのにもびっくり。

(施設に)着いたらTU先生がいらして、小学生の名簿をくださった。

SSの部屋とトイレを掃除。水浸しになっちゃったが、流したほうが断然さっぱり。

もう少し早いペースで出来るようにしないと。MG先生に洗面台を掃除させちまった。

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打ち合わせの後、外回り。結構みんな地図が苦手?前の2回、よく回れたなぁと、

不思議なほど。最後は不安になって、先頭を歩いた。

MG先生は2回目だというのに、すごく流暢(りゅうちょう)に説明できて、尊敬する。

なんか、自分(私)にも「やれ」という感じで、誰も前に出ないので、2回ほどやったが

うまく伝わらず。「今日は(やらなくて)いいです」と言われてホッとした。

説明ベタ(下手)は致命的・・・。

一時、月曜出勤になりかけたが、3日(連続で)休んでいいと言われて助かった。

 

この施設ではショートステイ事業という制度を導入し始めたばかりで、

MRさんが主導のもと、MGさんが右腕を担う部下、自分は穴埋め的な役割だった。

親御さんが入院したり、所用で子どもを預けなければならない時に世話を買って出る

臨時の小規模保育施設みたいな役回りだったのだが、なにせ始まったばかりで、

その存在を対象になる人どころか誰も知らなかったので、区内の保育園・幼稚園、

児童館などを回って、パンフレットを置かせていただくのが最初の仕事だった。

 

今なら地図アプリで効率的に保育機関を訪問したり、インターネットで情報を発信

したり、もっと利口な拡散方法があるのだろうけれど、当時は飛び込み営業のような

足で稼(かせ)ぐスタイルの広報活動が精一杯だった。