日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

守られない子供時代

2006.10.28(土)

ののは出勤。朝はー、焼きそば?外には出なかったと?

シャーロット・グレイ」という映画を見たけど、ユダヤ人の子どもたち(兄弟)が

ナチスにつか(捕)まってしまって、仲間の男の人はすぐに逃げようと言うんだけど、

シャーロットは「何か出来ることがあるはず!」と残り、警察が乗り込んでくるまでの

短い時間にタイプを打つ。ユダヤ人兄弟へ「母親からの手紙だ」と(嘘を)言って、

ポーランドに運ばれて行く電車に追いつき、なんとか(兄弟に)手紙を渡すんだけど、

「お母さんが戻って来るまで、兄弟で仲良くね」と(励⦅はげ⦆ました)。

「何か出来る」というのは、物理的に助け出すことではなくても、人に対して希望を

与える事。それは周りから見れば、何の変化ももたら(齎)さないかもしれないけど、

心の中に救いとなるものを、ひとつ残しておくだけで、人は頑張れるのかもしれない。

 

映画「シャーロット・グレイ」。全く覚えていないのでネタバレを読んでみた。

好きになった男性の役に立とうと、レジスタンスの活動に身を投じた女性の話。

知り合いの父親が匿(かくま)っていたユダヤ人の兄弟が、ドイツ兵に強制連行

されてしまい、兄弟を勇気づけるための手紙を、母親から預かったと嘘をついて、

危険を承知で手渡しに列車を追いかける。

その兄弟がその後どうなったのか分からないけれど、つらい収容生活の中で、

「いつか迎えに来る」母親を待ちながら、何度もその手紙を読み返したことだろう。

人の生きる力(ちから)になる嘘がこの世にはある。

 

 

2006.10.29(日)

ののが「休みの日は預け入れやってない」って言ってるのに、浜松に行きたがる。

ミスドー100円&120円(セール)だし、(まぁ)いっかーと付いて行ったが、

あまりおなかが空(す)いていなくて、結局(預け入れ)出来ないことを確認して

帰って来た。ヤマナカ(スーパー?)とイオンタウンに寄って帰った。

いろいろ半額があって、うれしかった。

夜ごはんの後、ののが図面を出して来て、そのあと別の事でも(揉)めたが、

自分がやる事を先にやらないから!とケンカ腰になった。(図面あるなら)早く出せ!

 

もともと同じ会社で働いていたので、彼氏の関わる製品の図面を描くのを、

自分が家にあるPCで手伝えるから、「図面の仕事があったら、やるよ」と申し出たが

彼氏は頼むのが恥ずかしいのか、出勤する直前とか、内容を確認する時間がない状態で

資料を渡そうとする。で、実際に描こうとすると内容が矛盾していて図面が進まない。

この日も、朝から渡せばいい仕事を寝る前に出してきた?出勤前よりはいいのか?

 

 

2006.10.30(月)

カレーを作って、あとはフリー。HDD(録画)で見るのはあったんだけど、

F1(番組)のCMカットして2h以内に収めた後、図面枠を作っておこう!と

思ってたんだが、「Mariaの祈り」を見てたら、止まらなくなった。

(児童養護)施設でひどい目にあった人は「里親(に育てられるほう)がよかった」と

言うが、うまくマッチしなかったり、逆にもっとひどい家庭だったりすることも

あるわけで。児童指導員になるより、(養育)里親をめざすべきなのかな・・・?

しかし別の仕事で働くか、結婚して夫に稼いでもらうかしないといけない。う~ん。

 

映画かドキュメンタリーの題名か?と思ったら、

「Mariaの戦いと祈り」というブログのタイトルだった。

ブログの主(あるじ)は、乳児院から養護施設へと措置が移行し、

物心ついてからずっと施設で育って来た方(かた)。

 

施設内では、職員から、あるいは児童同士でも、暴力と性虐待が横行していたという。

過酷な環境を生き延びた経験から、子どもをなるべく施設での集団生活ではなく

里親という、より家庭に近い人間関係の下(もと)で育ててほしいと、

啓発的な活動を続けていらした。

 

もちろん東京近郊なら大丈夫とは言えないけれど、地方の施設では特に、

人間の上下関係が固定化されてしまい、監視の目が行き届かないのかもしれない。

被害を訴えても、「妄想癖がある」と子どもの側に問題があるように言われて、

取り合ってもらえないと言う。力の無い子ども達は毎日、レイプや暴力の危険に怯え、

処罰を受けない犯罪者と寝食を共にしなければいけない。恒常的な屈辱と緊張感に

晒(さら)されて、精神を病んでしまう女の子が多いと言うのも頷(うなず)ける。

 

児童福祉の現場で働きたいと思ってから、児童養護施設関連のブログで、

施設での体験を読んでみるようになった。児童の側からも、職員の側からも、

多くの問題が提起されていたけれど、きっと現在でも、多くの施設や家庭で

まだ発見されていない虐待に傷付いている子どもが、沢山(たくさん)いるのだろう。

 

子どもが大人に依存しないと生きていけないシステムが解消されない限り、

不適切な養育を受けても、子どもは支配から逃げ出すことが出来ない。

初めから親子関係を存在させずに、社会が子どもを育てる制度があればいいのに。

理不尽な大人の下(もと)で屈辱に苛(さいな)まれて生きざるを得ないより、

いつでも逃げられるし、受け入れられる態勢が整っていると確信できれば、

自分を尊重しても大丈夫なんだと、安心して脱(ぬ)け出す勇気を持てるはず。