日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

意固地(いこじ)っぱり

2007.05.12(土)

忙しかった。どれから先にやっていいのか決められないでほんろう(翻弄)されてた。

お昼、詰め終わったと思ったらチキン(サラダ)が残ってて、洗い物もやってないし。

サラダはSKさんが手伝ってくださった。チャッチャと速い。

みんなは揚げ物やったりパン粉付けをやったりしてるのに、自分はサラダだけでも

手いっぱいで・・・。発注とかもしなきゃいけないのにねぇ・・・。ごめんなさい。

 

 

2007.05.13(日)

朝、ののが掛川まで送ってくれた。

10時ごろ新宿に着き、紀伊國屋書店を見る。母にひざ(膝)痛の本を選んだが、

ぜんそく(喘息)のほうがひど(酷)いんだって。しゅん。

コンタクトを作ったが、保険証を使ってはいけないことを後から思い出してしまった。

やべ・・・。大丈夫かしら?

帰りも、ののに迎えに来てもらいイオンに寄って帰った。冷凍青ねぎ無くなっていた。

休みというのに寝不足。久しぶりに家の鏡を見たら、またさら(更)に老(ふ)けた。

 

 

2007.05.14(月)

午後からMYさんが商談ということで、OMさん、KRさんとなんとなくのんびりモード。

今日もどこぞの営業の方(かた)がお手伝いしてくださり、早く終わった。

 

 

2007.05.15(火)

KRさんがお休みで、前日の黒はんぺんのフライの準備、数が足りなかったよう。

文句を言われてた。しかも、サラダを手伝ったせいだという結論に落ち着き、

申し訳なく思う。マヨ(ネーズ)の使い切りが悪いと注意された。

サラダを誰にも手伝ってもらえず、18時までかかった。夕方バイトの子が1人

だったから良かったけど、女3人いたら邪魔になって仕方なかったと思う。

 

ここらへんからだんだん自分(私)の仕事の遅さが、全体の足を引っ張っていることに

周囲が気付き始めてしまった。最初は大目に見てくれていた人たちにも、

敵意の目を向けられるようになった。仕事が遅い事は、この社会では罪になる。

 

 

2007.05.16(水)

黒はんぺんと焼芋コロッケ、鶏むねの唐揚げがじゃんじゃん出て来て、

パック詰めが追いつかず。IWさんがイライラ。

絶対に手伝ってやらないという意思表示か、口(くち)もきかず。

さらにYSさんやSGさんにも「やってあげなくていいよ」みたいに言っていた気がする。

ガマンしてたけど耐えられず、号泣してしまった。今でも思い出すだけで涙が・・・。

ONさんとMYさんに頼んで、(朝)6時からお鍋を温めさせてもらうことにした。

家に帰って、また泣き、ののが帰って、またまた泣いた。

 

ずっと追い込まれていた記憶しかないけれど、みんなの前で泣いちまったか・・・。

ここで泣いちゃいけないと思えば思うほど、涙が止まらなくなってしまうのはナゼ?

 

 

2007.05.17(木)

朝、目が腫れていたが、着く頃には元に戻りつつあった。

6時過ぎタイムカードの入力をし、お鍋を温め始めたが温め加減がよくわからず、

30分以上も火にかけていた。1時間(が過ぎるの)は、あっという間。

昼は結局、いつもと変わらない時間になってしまった。

夕方も17時を過ぎてしまい、でも終わっても夕方バイトのKZくんを手伝って、

洗い物をしなきゃいけない。本当にそこまでしなきゃいけないのか疑問だが、

OMさんがKZくんとやらを気に入っちゃってるので。

 

 

2007.05.18(金)

朝6時前に来たが、いつまでたっても(鍵が)開かない。ようやく女の人が来て、

(鍵を)開けてくださったら、結局、昨日と同じ時間になってしまった。

6時前に来た時の鍵のありかをONさんに聞いたら、ムッとして「MYさんに聞いて」

と、つっけんどん。そのあと態度が持ち直したように思えたが、昼、トレーを洗って

いたら「いつまでもい(居)ると、後(あと)の人が(昼休憩に)行かれない」と、

IWさんと一緒になって批判。昼休みを早目に切り上げると、休憩室でも不審そう。

     ・・・・・      ・・・・・       ・・・・・

調理場でONさんとOMさんがごはんを食べており、KRさんが「OMさんがパン粉つけの

場所にいる(ので作業できない)から」と(サラダ用の)ベーコンを揚げてくださったが、

「OMさんにちょっと場所を変わってもらえばいいのに」という気持ちが抜けず、

素直に感謝できなかったのがカン(癇)にさわ(障)ったのか、それともずっと嫌い

だったのが抑えきれなくなったのか「モゴモゴしゃべんじゃねぇ。イライラするわ」と

(ONさんに)激怒され、返す言葉もない。そのあとKRさんとも悪口ざんまい(三昧)。

     ・・・・・      ・・・・・       ・・・・・

初めはKRさんにも絶望したけれども、そうして合わせないと、やっていけないわけで。

もう味方だとは思わないけど、フツーにはやっていきたいと。

OMさんが変わらず接してくれるのが、唯一の救い。それもいつかは終わる日が

やってくるのだろうが。MYさんがキレない限り、なるべく頑張らねば。

 

ONさんが煮物全般を担当していたんだけど、自分が朝の火入れを任されて、

結果的に仕事を奪う形になったことも、火に油を注ぐ一因になった気がする。

自分より仕事が出来ないくせに、ちょいちょい自分の仕事の足を引っ張るばかりか、

下手(ヘタ)をすれば自分のシフトに取って代わられる可能性がある新人を、

やさしく教育してあげようと思うような志(こころざし)の高いパートは、まずいない。

調理の職場で「見て盗め」というスタイルが多いのは、教えたら自分が損するという

考え方が根強いから?常に誰かを見下せないと、自分の存在が脅かされる?

 

KRさんは入った時からとても親切な人だったのに、好意で手伝ってくださったのを

「(手伝わなくて)いいです、いいです」みたいに拒否してしまったのかな・・・。

手伝ってもらったらもらったで、その前の前の日みたいに嫌味(イヤミ)を言われる

原因になるから強がってみたのか、自分の態度も相当頑(かたく)なで悪かった。

KRさんのほうこそ失望してしまった事だろう。ありがたく受け取れず、ごめんなさい。

 

こういうネチネチ責められる状態が続いて、周りが敵ばかりと感じるようになると、

片意地張った態度を崩せなくて、孤立無援になる状況、その後の職場でもあったなぁ。

人に教えを請(こ)うとか、助けを乞(こ)うとか、そういう遜(へりくだ)った気持ちが

いつも欠けているから、余計な反感ばかり買うのかもしれない。