日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

退職日=交際0日目

2001.01.19(金)の振り返り。

 

技術部の建物にはトイレがあったのですが、台所の隣、作業台のすぐ前だったので、

ほぼ男子専用。掃除も男の人がやっていました。

女性3人は、本社の女子トイレ(1軒おいた隣)を使いに行っていました。

技術部のトイレは、飲み会の後、気持ち悪くて会社に泊まって帰ったとき以来かも。

最後に再びお世話になりました。

 

SMさんはいつも陽気で元気な取締役のおじさんでした。

率直でフレンドリーで、埼玉のグループ会社で働く営業職の息子を

いつも誰かと結婚させたがっていました。

健康で誰より長生きすると思われたのに、その後、まさかの経緯で亡くなりました。

息子さんが結婚してからだったのが、せめてもの救いです。

 

UNさんは秀才肌の設計者。

下北沢の実家に住み、有名な私立校を卒業した、いい意味での?とっちゃん坊や。

ギャンブルにはまったせいなのか、この会社に流れ着き、地頭の良さもあって、

斬新かつ緻密な発想で重宝されていました。

HTさんとともに、競馬とパチンコが大好きで、暇を見つけてはパチンコ屋へ。

儲けた時には高級うなぎをみんなに御馳走してくださったりしました。

 

HTさんも設計者。技術部副部長の奥様が実姉という親戚関係がありました。

パチンコの景品を配ってくださったり、アイスをおごってくださったり。

入社したての頃、お金を渡されて、コンビニへアイスを買いにいったのですが、

たぶんスーパーカップみたいなバニラを買ってくると想定していたであろうところへ、

おいしいからとハーゲンダッツや、そのころ出はじめたフォションのアイスを、

遠慮なく買っていったときは驚かれました。笑って許してくれてありがとう。

 

全体的にバブルの名残があって、みんな気前がよかったのですが、

なんといっても社長の羽振りの良さは群を抜いていました。

入社してすぐのお花見の会は、上野公園の中にある料亭みたいなお座敷を貸切で、

コースの最後には、鰻が蒲焼きではなく白焼きで出され、高級感に圧倒されました。

その年の社員旅行は一泊3万くらいするという伊東の温泉宿で豪勢に行われました。

 

椿山荘でホタルを観る会、本格中華やしゃぶしゃぶ、高級ホテルのディナーなど、

とても自腹では行かないようなお店にたくさん連れて行っていただきました。

ところが、会食というものは、男性はスーツにネクタイを締めるだけですみますが、

女性は、それなりのおしゃれを求められるものです。

しかも何度も同じ服というわけにもいかないので、やたら服、靴、鞄を買わなければ

ならず、しかも普段着には適さない。無駄な出費がかさんで嫌だなぁと思うように。

 

そして土日の時間の使いみちを勝手に会社に決められるのが、最大の不満でした。

正社員というだけで、自分の休みを有無を言わさずむしり取られる。

有給休暇だって、労働者には20日付与されているはずなのに、誰か亡くならないと

取らせてもらえない。そのせいで、旅行もいちばん混む時期に行かなければならず、

最安値なら3万くらいで行ける沖縄に、10万くらい出して行ったこともありました。

正社員より派遣がいいと思い始めた原点になった会社でした。

 

HDさんは千葉の営業さんでゴルフと美女が大好き。自分が大嫌いな派手系でした。

同期で入ったKDさんが小柄な可愛らしい人だったのですが、あるとき朝のコーヒーを

運んで行ったら「HDさんにセクハラされた」と半泣きで戻ってきました。

以来、KDさんを守る!という意気込みで、コーヒーの配布は自分が担当するように。

 

そんな軽蔑すべきHDさんと、TKさんんがいつの間にか付き合いはじめました。

TKさんは幼い娘を抱えるシングルマザー。ひとりで働きながら子育てするのは大変。

重圧から逃れたい気持ちもあったのかもしれません。

とはいえ、なぜ?よりによって!そんな男?見る目がなさすぎる。なんだったら、

そんなんだから離婚するんだよぉ!くらい反対する気持ちが強かった。

下手したら、娘に性的虐待を加えるようになるのでは・・・と心配でもありました。

マイナスな感情が伝わった結果、TKさんとは疎遠になっていきました。

 

程なくしてTKさんはHDさんと結婚し退職。そして入れ替わりで入ったSKさん。

思えば自分にとってのダークマターが出現し始めたのはこの頃なのかも・・・。

HDさんと設計のUNさんは、仕事上の絡みが多く、ゴルフ仲間でもありました。

自分の嫌いな人と好きな人が仲良くしているのを見るのは、なんとも複雑ですね。

 

一方、設計のHRさんは、大柄で男気がある、自分から見て好ましいタイプの男性。

既に結婚してお子さんもいました。父としても、夫としても理想的な家庭人。

自分みたいな見た目パッとしない人間でも、一所懸命なところを評価してくれて、

いつも親切に接してくださいました。まさにHDさんとは真逆のタイプです。

 

HRさんには、営業にお兄さんがいて、この方もとても親切でした。

自分が入社したてで、電話を取ったものの繋げなくて困っていたときに、

サッと助け舟を出して、受話器を引き取ってくださいました。

このあと、割と若くして亡くなってしまったのですが、HR兄弟が大好きでした。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

MRくんは一般企業で働いた後、運送部門の父親の縁故で入社しました。確か同い年。

超がつくほどのお人好しで、何を言われても笑って対応できる素直なタイプ。

後から入ってきた金髪の年下男子にも丁寧で腰が低くて、舐められないかと

心配したものです。多趣味なところとか、MGさんと似ている感じだったので、

付き合ったら相性が良さそうと思ったけれど、そうはなりませんでした。

MRくんは退社、MGさんは働き続けて40歳くらいで結婚しました。

 

ONさんは、たぶん1999年に転職してきました。

当時は、父親がグループ会社の社長でした。埼玉の別グループに配属されました。

どういう経緯だったか忘れましたが、その年の年末に2人で食事に行きました。

話の中で、「父親がグループから独立したがっているけど、自分は反対だ」

というONさんの意見を聞き、子どもが成人するまで我慢して働いたのだから、

最後は好きなようにやらせてあげれば?と思ったことを覚えています。

 

もしこの人と付き合ったら、いつか自分の人生も制限されるようになるのかも、と

恐ろしくなりました。

2000年の年明けに、実家方面に帰ったお土産として、地元のお菓子とは別に、

自分宛のお土産を買ってきてくれましたが、付き合ってるわけでもないし、

特別にもらう理由がないから、とみんなに配るお菓子以外は受け取りませんでした。

ここで完全に諦めたと思ったのですが、1年ぶりにチャレンジするとは、あっぱれ!

流れに乗せられただけかもしれませんけど・・・。

 

HYさんは小学校5&6年に仲が良かった友人で、中学にあがるとき神奈川へ

引っ越してしまいました。その後も、泊まりに行ったり仲良くしていました。

 

RKちゃんは中学校時代の仲良し。数少ない友人の中で最初に結婚、出産しました。

 

もうひとり、小学校で1度も同じクラスにならなかった上、中学校も学区外に

引っ越してしまったOBさんという友人がいました。

 

以上の3人しかトモダチとして続いていた人がいなかったのですが、このあと、

1人、また1人、と減っていくことになります。いずれ誰もいなくなるかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以降、完全無料だったのが、会費を取るようになったり、無理してまで

やらなくてもいいのではないかと思われる食事会が続いたので、