日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

さよなら、給食

2008.03.08(土)

ワイヤーシェルフを解体したり、テレビを箱に詰めたり。母と寿司を食べに行く。

寿司を食べ終わる頃、保険証いらないなら今日、健(康)診(断)を受ければよかった

ことに気が付き、ショック。どーしよ、どーしよ。お昼に抜けさせてもらおうか?とか

いろいろ考えたが、月曜の夕方、STクリニックで相談するしかなかろう・・・。

 

 

2008.03.09(日)

ののと浜松に行った。17時頃までブラブラしてから、「わん」(居酒屋)に入った。

個室づく(造)りなのが良い。

 

 

2008.03.10(月)

STクリニックに行ったら、O-157(の検査)は出来ないと言われ途方に暮れたが、

もっと駅に近いTMクリニックに行ってみたら大丈夫だった。

検便も1週間くらいで結果が出るという。RS病院(実家の近く)、時間かかりすぎ。

 

 

2008.03.11(火)

検便、今日と(採)らないと病院が休みになってしまうので、やや下痢気味だが採取。

夕方まで(検体を)とっておくと検査が遅れるので、朝のうちにポストに落としてきた。

 

 

2008.03.12(水)

昼も少しおなかが痛かったのだが、FIT  HOUSE(ブランド品販売)に行く前にも

ハライタ&下痢。出し切れなくて、着いてからもトイレに入ったら、トイレが詰まって

困った。ブランド品で欲しい物がなくて、香水を1びん(瓶)買ってもらった。

SGさんからハンドタオルもいただいた。ありがとうございました。

 

産休代理だった栄養士のAYちゃんと自分は3月で退職ということで、

給食室の方々でお餞別(せんべつ)として好きな物を買っていいと言われたのだが、

ファッションにもブランドにも興味がないので、選ぶのにやたら時間がかかった。

ck(カルバン・クライン)の香水の瓶、いまだに全然使う機会がないまま眠っている。

食べ物がいいと言ったけれど、「それじゃ記念にならない」と却下された。

 

 

2008.03.13(木)

SGさんの機嫌を悪くした。みんなすぐに気持ちを切り替えて、

何事もなかったように振る舞えるけれど、自分はダメで引きず(摺)っちゃう。

そういうところが、長く働けない理由だろうなぁ。

これを克服しないと、次の所でも続かないよ。ここで得た課題だねぇ。

長く働きたかったら、ふてくさ(不貞腐)れちゃダメ!

あいさつ(挨拶)緊張した。でも、終わってホッとした。あと1日。

 

SGさんの機嫌が悪くなった原因は自分なの?

でも、みんなにも波及してるなら、たまたまSGさんの虫の居所が悪かった?

昨日は円満な雰囲気かと思ったのに、どうして最後まで続かないかな・・・。

 

自分が次の就職先を見つける頃、ちょうど来年度からの配置換えも決まったばかりで、

SGさんと一緒に、もっと近くの小学校へ配属されるという話だった。

この日の出来事を見るに、このまま働き続けていたら結局はイザコザが起きて、

SGさんとも不仲になって辞めることになったような気がする。

楽しい思い出ばかりを憶(おぼ)えていたけれど、それなりに葛藤もあったみたい。

 

嫌な記憶を持ち越さないということが出来ないから、自分を不快にした人に対して

いつまでも恨みを消せないというか、また同じ経験をすることに身構えてしまう。

昔は無理してでも笑ったりしていたけれど、「イヤ」ということを顔に出さないと

相手は結局わからないんじゃないかと思って、自分の気持ちに蓋をせず、感じたままを

抑え込まないようにしたら、ますます社会に適応できなくなってしまった。

 

では自分の気持ちを隠し通して、自分を苦しめる相手にも常に笑顔で接していたら、

いつかは相手も心を入れ替えて、互いに打ち解けることが出来ただろうか?

楽観的な人はその「いつか」を夢見て頑張れるのかもしれないけれど、

自分はそこまで人間の善性を信じることが出来なかった。

 

自分に嘘をついて、相手を勘違いさせるせいで、結局相手は一生気付けない。

それが本当に親切であり思い遣(や)りと呼べるのか、大いに疑問に思う。

自殺する人の周囲で「そんなに悩んでいるとは気付かなかった」という人が多いのは

結局、自殺した本人が他人にばかり気を遣いすぎて自分を押し殺していたから。

それで表面上は周囲とうまく行っているように見えても、所詮は偽りの関係。

自分の中に苦しみを溜め込むだけ溜め込んで、最後は自分を圧(お)し潰してしまう。

 

「人を傷つけるより、自分が傷ついたほうがいい」みたいな歌詞もあるけれど、

自分で傷を治(なお)す秘策があるならまだしも、傷を受けてばかりで癒す余裕も

ない人が同じことをしたら、いつか2度と立ちあがれなくなる可能性だってある。

自分より他人を優先する強さが、自分を守れない弱さの裏返しなのだとしたら、もう

他人のことなんかどうでもいいから、まずは自分を最優先してあげて!と言いたい。

 

 

2008.03.14(金)

午前中から、なんとなく頭痛。目から来てる気がする。

左目のコンタクトを外(はず)してみたけど、あまり変わらない。

最後、皆さんに玄関まで見送っていただき、恐縮でした。

TNさんに車で送っていただいた。どうもありがとうございました。

 

給食の提供がこの日までだったのかな。

東京で働く前に引っ越しをしなければならないので、本来なら年度末の

大掃除とかあったのだろうけれど、早目に退職をさせていただいた。

異動する人は給食室も含めて、修了式で全校生徒の前に出て挨拶をしなければ

ならなかったので、転職に託(かこつ)けてスピーチとか避けられてよかった・・・。

 

給食の仕事は大方(おおかた)楽しかったけれど、各学校の給食室は廃止され

給食センターに統合されていく傾向が顕著になっていた。

小規模な集団が必ずしも好ましいわけではないが、家庭的な味に近いものが

失われていくような、より手作りから遠ざかるような残念感は拭えなかった。

 

加えて、この仕事をこれまで長く続けてきたOKさんは、

専門調理師という普通の調理師資格よりも高度な資格まで取得していたのに、

正規の職員にもなれず、来年度からは給料の下がる職場に送られるという話を聞き、

長く働いたところで、苦労して取った資格すら1mmも考慮されないのか・・・という

理不尽な仕打ちへの不信感も。このまま勤(つと)めても将来(さき)が無いと思えた。

 

とはいえ自分の人生において、この職場に巡り会えたことは本当に幸運だった。

キツめの性格の人はいても、陰口を叩(たた)いたり意地悪をしたりするような、

他人を害して喜ぶタイプの人がいなかったのは、本当に恵まれた環境だった。

このあともたくさんの意地悪な職場が待ち受けているけれど、この給食室みたいな

仲良く働ける職場だってあるんだと、希望を残すことができた。

 

実際は神様のチョイスに委(ゆだ)ねられていることだから、

もう2度とそんな人間関係の職場には送ってもらえなかったけれど・・・。

大きくなってからまた、大好きな給食を食べられるなんて思っていなかったぶん、

夢のような経験を果たせて満足でした。給食サイコー!