日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

貢献できない命の価値

2009.12.02(水)

ウィラ大井(大井競馬場前のショッピングモール)のプレオープンに合わせて、

朝から外出したが、すんごい行列であった。あっさりあきら(諦)めた。

大森(駅)へ行き自転車をとめようとするが、場所がなくて西友へ。

つるかめ(ランド=スーパー)とオーゼキに行って、

お茶(PETボトル)を買おうか悩むが買わず。

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4(16)時の市をめざしてFreshへ。

板ゼラチンが半額ということで購入。あと、野菜を買って帰った。

革のカバン(鞄)をリフォームしたがイマイチ。ぬ(縫)うよりボンドで貼ったほうが、

しっかりしてよかったかも。ベルトも改善の余地あり。

 

 

2009.12.03(木)

朝からなんとなく頭が痛いが、歯医者さんも行かなくちゃ。

11時頃に着いて、30分くらいで終わって郵便局へ。

いろいろやっていただいたら(たぶん定期預金の移し替え)13時半頃までかかった。

お昼ごはんも食べずにやってくださった郵便局員さん、ありがとうございました。

下(の階)で切手を見たら、青地に銀のかわいいらしいのがあった。

最近は手紙を書かないんだけど3シート買っておいた。もっと買っておけばよかった。

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髪を切ってもらう前に、東急で買い物しちゃった。

終わってからオーゼキに行ったら、150円のいちご(苺)が(出ていた)!。

えび(海老)づくしのお寿司も、ぜいたく(贅沢)だけど買っちゃった。

ここ最近の鳩山家の資産の話を聞いていると、こんな何百円で迷う生活してる人も

いれば、何千万、何億と小遣いをもらう人もいて・・・。この世界って、なんなんだ?

 

かわいい切手をいろいろ集めていたけれど、メールがあるから友だちとわざわざ

(態々)手紙をやりとりすることもなくなったし、誕生日やクリスマスのカードも

送らなくなったし、唯一文通の可能性があった高齢の伯母も最近亡くなった。

今後使う可能性がないから、もう切手も断捨離リストに入っていいのだけれど、

金券ショップに持って行っても、珍品とかではないから買い叩かれてしまうだろう。

 

切手の額面を最大限に活(い)かすには、ゆうパックの送料で使うのが1番いいのでは

ないかと思ったが、箱の何面にも渡ってシールを貼りまくると迷惑のような気も・・。

恥さえ怖(おそ)れなければ最も損失が少ないけど、勇気がない・・・。

 

 

2009.12.04(金)

昨日の雨から一転、とてもきれい(綺麗)な空。

「あー、もったい(勿体)ない。布団干したい!」と思ったけれど、

となりが起きてるみたいなのでや(止)めておく(タバコの臭=においがつく恐れアリ)。

ちょうど(丁度)昼過ぎから雲が広がり出し、陽(ひ)が出たり隠れたりし始めた。

(ドラマ)「ギネ(~産婦人科の女たち)」で、生まれてすぐ死んじゃう赤ちゃんの話が

出ていた。それでも産む意味って?

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「大人ドリル」(NHKの教養番組)では少子化の話をしていたけれど、

国力が衰退(すいたい)するから人口を落とすとマズイとか言っているのを聞くと、

労働力にならなかった場合は、生まれてきた意味がないの?

たと(例)え健康に生まれても、ワーキングプアみたいな使い捨ての労働力として

酷使(こくし)するだけなんじゃないのか?

 

ドラマ「ギネ」で、自分の子が口蓋裂(こうがいれつ)で生まれてくると知って、

妊婦が「堕(お)ろしたい」と言うのに、医師がそれに反対するという回があった。

羊水検査でもそうだけれど、障害のある子であっても育てられるキャパのある人も

いれば、その苦悩を引き受けるだけの器(うつわ)じゃない人もいる。

 

自分の度量を知った上で、「障害があっても大丈夫」と言える親はいいけれど、

そうでない親に無理矢理出産させたところで、じゃあその子の人生を誰が背負うのか?

一生をかけて面倒を見られる人を、親以外で見つけることができるのか?と考えたら、

「産むべき」と軽々しく言えないと思う。「自分が養子にする」と言うなら別だけど。

 

「産んだ」けど「育てられません」で、国は出生率があがったと喜ぶかもしれないが、

「産まれた」のに「誰も世話してくれる人がいない」子どものほうはいい迷惑。

産むからには、その子のこれからの人生に対して責任を負う覚悟がないと、

「産んだ」こと自体が子どもにとっての虐待になる。自分みたいに。

 

いずれAIが進化したら、人間よりも優秀な働きロボットが日夜関係なく働いて

くれて、クリエイティブでもなんでもない人間は必要なくなる。

その間のツナギとして予備を用意しておきたいから、出産を推奨するのだろうか?

そろそろ人間を選別していかないと、社会が失業者でいっぱいになるのでは?

 

生きる意欲がある人ならともかく、自分みたいに「できれば生きたくないけれど、

死ぬのも痛そうで仕方なく生きている」という人間はどんどん安楽死させないと、

地球上のエネルギーが無駄に消費されて、環境破壊しか残されていない。

 

月曜から夜ふかし」を見てると、やることがなくて時間を持て余している高齢者が

ウロウロしている。暇潰(ひまつぶ)しのために生きるより、臓器提供可能な段階で

安楽死を選ばせてくれたら、最後くらい人の役にたてるかも知れないのに・・・。

 

どの民族も自分たちだけは増え続ける価値があると思いたいのだろうけど、

地球全体のことを考えるなら、人口をいかに抑制するかこそ考えるべきでは?

人数ばっかり多くて退廃的な社会をつくるより、「生きたい人」と「生きたくない人」

を炙(あぶ)り出して、意欲的な人間だけで社会を構成したほうが発展的するんじゃ?