日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

自分のようで、自分でない

2009.12.16(水)

お天気、やや悪め。いつ降り出してもおかしくない感じ。

母は病院の日だが、注射後に連れ回すのもよくないので、連絡はしない。

Job aidem(求人情報誌)を見ていたら、いろいろ気になるお仕事が。

亀有の病院とか興味はあるけれど、夜勤は体をこわ(壊)すかな?

もう少し(家の)近くだと助かるんだけど・・・。

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あと京王プラザホテルの仕事。本当はペニンシュラ(ホテル東京)に興味があるけど、

共用部(の清掃)は見せ物になりやすいからなー。しかしベッドメイキングとかも、

休憩時間の女同士のおしゃべ(喋)りについていけないような気が・・・。

ことごとくネガ(ティブ思考)に走ってしまう。

 

高級ホテルの清掃とか面白そうだと思ったみたいだけれど、

共用部はホテルの顔になるから、なるべく見た目のいい若い人を採用するんじゃ?

ベッドメイキングもスピード仕事だから、自分には向いてないかなー。

本当にもう、自分が出来る仕事って、この世界には何もないような気がする・・・。

 

 

2009.12.17(木)

朝見た(ドラマ)「リアル・クローズ」で「お客様の気持ちを考えない仕事は自己満足」

と言われていて、ドキリ。この間の面接で「別に感謝されたいわけじゃない」と言った

けど、「喜ばれたい」という気持ちは大切にしないとねぇ。(LF社が)落として正解。

振り返れば、今までも自己満足したいがための仕事だったから、

「満足できない→ 耐えられない」ということになって辞めちゃうわけで?

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ソロモン流」(人物ドキュメンタリー番組)でパティシエの人を、

情熱大陸」(同)で栗山千明を扱ってた。2人とも、その道を歩き続けて一流に。

物事に真剣で、常に探求し続けている。

栗山千明が言ったように「自分で選ぶと好きなことしかやらないし、

嫌なことを避けちゃう」って。自分そのものだ。足りないのは謙虚さ?

自分が選び取ったわけじゃなく、「選んでもらった」ということに感謝できないから?

 

家事代行というサービス業で「お客様に感謝してもらってナンボ」という気持ちを

持てないような人間は、確かに必要ない。採用されなくて当たり前。

そう言われると、これまでの仕事のすべてに心がこも(籠)っていなかったのかも。

常に自分が得られるものを計算してばかりの生き方をしていた。

それが自分を高めると信じていたけれど、何ひとつ続かなかった原因でもある。

 

自分が自分の人生をコントロールしていくという傲慢(ごうまん)な考え方で、

他人(ひと)様から与えられたチャンスなのに、有(あ)り難(がた)く受け止められず、

それどころか簡単に投げ出すようなこともできたのだろう。

ここで自分の不遜(ふそん)さに気付いたなら改めればよかったのに、

もはや骨の髄(ずい)まで染み込んだ悪癖(あくへき)を取り去るどころか、

ますます人生に背を向ける人間に成り下がってしまった。人として末期・・・。

 

思えばこのブログも、自分のためだけにしかアップしてない。

他の人のブログを見て、コメント欄で会話しているのを見ながら、

読者がついたらついたで全員に返信したりするのは大変そう・・・と思ったり。

だから、このまま一生誰にも見つからなくても平気なのかも。

もしも偶然に死生観が合致する人に見つけてもらえたら奇跡的。ないかな・・・。

 

 

2009.12.18(金)

晴れてたけど、風が強くて。早目に(洗濯物を)中に入れた。

とり(鶏)むね(胸肉)が安かったが、外出はポストをのぞ(覗)きに行っただけ。

夏目漱石がイギリスで引きこもり生活だったという(内容の)番組。

結論は「自己本位でよいのだ」と。自分がよいと思うものを、とことん突き詰める。

迷いながらも、ぶつかってしまえ!と。結局は何をやってもよいのだ、と。

「やる事がなくて当たり前」って、どこから来たのかわからんけど。

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心からやりたいことじゃなくてもいいんだって。とりあえずやってるうちにぶつかる。

(そうしたら)立ち止まる。考える。そしてまた、別の角度からぶつかる。

傷つけられるのも当たり前。苦しむのも当たり前。

自分がこだわ(拘)ってる疑問って・・・。なぜ人はイヂワル(意地悪)?

なぜ子どもを幸せにできない?なのになぜ産む?

そして自分は何をしに、この世に来たんだ?

 

昨日は自分の生き方を考え直そうと思ったはずなのに、

今日になったら、このまま、ありのままの自分で生きていくだけでいいみたい・・・

という誘惑?の言葉を与えられ、怠惰(たいだ)な路線に戻ってしまうという・・・。

思った通りに変われる人もいれば、どこまでも変われず、なんならより悪い方向へ

転がり落ちてゆく人も沢山(たくさん)。当然、自分は後者です。

 

何をしてもいいと思ってたからいろいろやって、結局こんな人間になっちゃって・・。

とことん追求したいものが、そもそも見つからなかったのが敗因?

ぶつかる壁だらけで、もう疲れた。これを諦(あきら)めずに続けられる人が

人生を突破できるのだろうが、そんなタフな人間ばかりじゃない。

壁の向こうの世界が本当に美しいのかもわからないし、もう見たいとも思わない。