日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

相容(あいい)れない母娘(おやこ)

2006.12.09(土)

ののは仕事。なかなか帰りとごはんの時間を合わせられず、ののに八つ当たり。

 

 

2006.12.10(日)

カレーがあまりおいしくできずガックリ。ごはんの後、図面描き。夕方までかかった。

イオンタウンで買い物。バーミヤンで夕食。帰ってから、もうひと働き。

 

 

2006.12.11(月)

朝、ねば(粘)りすぎたら、ののが遅刻しかかってた。ごめん。

(彼氏が)下痢でハライタ。そのうち自分まで。明日検査しても、また陽性だろーなー。

母から電話があり?と思ったら、施設からも留守電が入っていた。

法人のほうで解雇の決定が出たかと思って、ドギマギした。

新幹線(の時間に)ギリギリだったが電話したら、テレ(ホン)カ(ード)が切れちゃって

新幹線の中から、また(電話を)かけた。毎週、電話すべきなんだろうか?

御徒町で髪を切ろうと思ったら、いつもの美容室が値上がりしてた。迷った末、断念。 

タカシマヤのポイントも、まだ反映されてないし・・・。何もないのでダイエーへ。

 

 

2006.12.12(火)

朝8:15頃に行ったけど、2h待ちで診察。会計と薬局で3h半くらいかかった。

12時過ぎて、ののに電話。切符を変更してもらおうと思ったが、つながらない。

そのうち(電話に)出るだろうと思ったが、このまま連絡が取れないようなら、

(新幹線に)乗ったほうがいいか?と思って、出かけた。

が、電車に乗っているうちに変更できたので、新宿で折り返した。東大和まで乗った。

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TSUTAYAで本を見ようとしたら、いやに店の人が警戒するので心外(しんがい)。

しまむらへ寄ったら明るい色のタートルとセーターが出てて、迷ったが1枚ずつ購入。

食べたい物が食べられなくて、プチストレス。

この先もずっと下痢にビクついて食べないといけないの?

 

万引き犯に見えたらしい。 治療中に食べてはいけないものって、ナマモノ?

 

 

2006.12.13(水)

ずっと家にいた。絵を描いていた。色を塗ったり、久しぶり。

ノストラダムス」の映画を見た。原爆のこともヒトラーのことも、フランス革命?の

ことも、全部予見していたなんて。破滅への道が定まっていたとしたら、悲しいねぇ。

(予言から)500年近くあっても、運命の歯車が狂っていかない、あるいは、

狂い続けたままいくしかないなんて。

 

昔は未来がわかっていたら、いろいろ便利なのではないかと思っていたけれど、

回避することも阻止することも敵(かな)わないような未来なら、

もはや知ったところで意味がない。悲惨な運命なら知らずに生きるほうが気楽だろう。

 

 

2006.12.14(木)

家にいる。ビデオも尽(つ)き、DVD(レコーダー)がほしい。

母へのウザ感が高まってきた。

同じ空間にいることが無性(むしょう)にガマンならなくなったりする。

かといって別の部屋に行くと悪い・・・。テレビは無理でも、PC買おうかなぁ・・。

正月とか、(母とずっと一緒にいるのは)地獄・・・?

 

 

2006.12.15(金)

朝、ビデオを見たかったが、母が起きて来ると「朝ごはんは?」ということになるので

ガマン。ののの所でと(録)ってくれてるから、と安心しきっていたら、

HDDが容量オーバーになったのか、入らなかった。

春のワルツ」(韓国ドラマ)だけでも入っていてよかった。

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出がけに母と口(くち)ゲンカ。聞き方がしつこ(執拗)い。自分(私)の声が小さいのを

聞き返されるとイラッとするんだが、ムッとして答えたら、「どーしてそーいう・・・

(言い方をする?)」「キライだから・・・」となって、母が「嫌われてまで一緒に

住みたくない」と言うので、「じゃあ1人でも暮らせそう?」と思ったけれど、

今度は自分(私)が1人で暮らせる程の収入がないという・・・。

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9時前に検体を提出できて、8:58の西武線に乗れたので、10:06(の新幹線)に

乗れるかと思ったのだけど、中央線が遅れていて、神田で既に10:03。あきらめた。

10:23のこだまに乗った。MAXバリュでいろいろ買って、粗食解禁を祝う。

掃除と洗濯で、もう疲れたので、おでんを煮るだけで(その他の調理から)逃げた。

 

このあとしばらく母と離れて住んでいたから忘れていたけれど、やっぱり一緒には

暮らせない者同士だったと改めて思う。同居介護しても、きっと行き詰まったはず。

「子どもはみんなお母さんが大好き」というのが一般的な認識なのだろうけれど、

自分はきっと母親を好ましく思っていなかった。でも、母のようにはならないように

働いて自立した人間になろうと思っていたはずが、結局は彼氏に依存して寄生して、

自分が嫌悪した母親以上に堕落した人間になってしまった。諦めが勝(まさ)った。