日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

悲しみランキング

2007.07.07(土)

STクリニックへ。(彼氏が)水曜日に胃カメラを飲むことになったが、

(自分が)東京へ行くと付き添えない。 帰って、パンで朝食。

ののは仕事、自分はテレビを見ているうちに眠ってしまった。

35歳・・・になっても、怠惰に拍車(がかかるばかり)。

「わ助」(居酒屋?)に行ったが、高いしメニューも少ない。

帰り、ASさんの兄の家を探しに行った。何やってんだか・・・?

 

誕生日の特別感が、年々薄くなっている・・・。近年では外食すらしない。

友人のASさんの旦那さんが浜松の出身で、その長兄がかなり近くに住んでいた。

なぜかASさんが住所を教えてくれて、自分がその家を見に行くという・・・謎行動。

誕生日にやることですか?

 

 

2007.07.08(日)

浜松にディズニーアート展を見に行った。ヘタな画家の個展より、ずっと良かった。

そのあと浜松城へ。コンコルドホテルを見て、駅までバスで。

メイワンの上で、おろしとんかつを食べた。

マックでフルーリーもおご(奢)ってもらった。どうもありがとう!

 

「ポストカード:1000円」と書いてある。ダンボの絵葉書が可愛くて買ったかも。

耳を垂らして大粒の涙を流している姿が、切ないけど愛くるしくて好き。

 

 

2007.07.09(月)

今日帰ろうか、明日の朝帰ろうか迷ったが、KGさんにメールして木曜日に行くことに。

食べる物がないので買い物へ。

夜、とっとと寝てしまったが、ののは0時過ぎまで仕事していた。

図面を描いてあげればよかったかなぁ。体調悪いのに、ごめん。

 

 

2007.07.10(火)

スーパーに行く頃、ちょうど雨が降り出し、杏林堂にいたら本降りに。

それでもオカノとMAX(バリュ)へ。あ(宛)てにしていた鶏むね(肉)が安くなくて、

けど「鶏団子を作らなくてす(済)むや」とホッとしたりして。

歯をみが(磨)いてからと思いつつ、いつもうたた(転)寝してしまう。よくないのぉ。

 

この頃よく鶏むね肉をフードプロセッサーで挽(ひ)いて、自分で鶏ミンチを作っては

つくねにしていた。鶏むね100g28円とかであったから、挽き肉を買うより安あがり。

とはいえ、フードプロセッサーにベッタリつく肉汚れを落とすのが面倒くさい。

 

 

2007.07.11(水)

のの、胃カメラの日。検査を見てみたい気もしたが、身内じゃないので遠慮した。

MAXとかで買い物して帰った。ののも割と早く戻ってきた。

一緒にラーメンを食べて、ののは薬局へ。自分は駅で切符を取って帰った。

図面の整理とか、封筒の仕分けとか、ローズヒップのヘタ取りとか、

いろいろやりたいと思いつつ、うとうと。

おフロに入ってたら、足音がした気がして、でも電気がつ(点)いていない。

部屋に入ろうとしたら、ののが暗いままイス(椅子)に座っていてコワ(怖)かった。

 

胃カメラ飲んだショックが大きかった?特に病気が見つかったわけでもなかったのに。

 

 

2007.07.12(木)

朝、始発で浜松へ。(新幹線)こだまに乗った。

E席だと、となり(の席)に荷物を置きづらいので、A席へ移動。正解だった。

(KGさんから)ドトールでアイスココアのリクエスト。塩あずきマフィンも買った。

(夜、家でなりゆきから母に食べられた。また買った)

モモ(豆柴)の散歩に行ってから、買い物へ。

途中で雨が降り始め、「まずい!」と思ったが、なんとかも(保)った。

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OBさんからメールが来て、電話も来たが出なかった。

昼(ごはんを)食べて、夕方また電話が来て、出てみたら「父が亡くなった」と。

どんな慰めも無意味に思えてしまう。

 

部屋の片付け以来、なんとなく不仲なままかと思っていたけど、先週会ったのは

「お父さんが入院している」と聞いたから?御茶ノ水の駅(父上の病院)近くまで

会いに行った気がする。月餅の差し入れも、付き添い家族のお見舞いに買ったのか。

国語の教師で、OBさんを窘(たしな)める時の優(やさ)しい声が印象的な人だった。

 

 

2007.07.13(金)

KGさんから「風邪が旦那にうつった」ということで、「出勤(時間)が遅れる」と

メールが入ったため、品川へ行って本屋を見たりしてた。

ら、「かなり遅れる」ということで、OBさんに会っておこうと電話したが、

寝起きのせいか、かったるそうで、メールしたけど返事がなかなか来なくて、

でも「行っとこう」と思い、山手線に乗った。降りる頃ようやく「11時には出かける」

ということがわかったが、「ええい!」と思って(家の近くまで?)行った。

     ・・・・・      ・・・・・       ・・・・・

出かけるのを見送るくらい(ならできるかな)と思ったけれど、

「弟とクリニックに行く」と言うので、それまで少し話した。

そのあとメールが来て、「(父親が)恋しい。淋しい」と。

「カウンセリングに行ってるのに、なぜ?」と思っていたら電話が来て、

話すと・・・険悪になる。充電が切れて助かったけど、正直うんざりして・・・。

ASさんからメールが来た時も、(OBさんかと思って)ビクビクしてしまった。

またRKちゃんの2の舞、3の舞(を踏むことになる=絶縁?)・・・。

 

OBさんの父上は、昨日亡くなったのかと思ったけれど、もう少し前なのかも。

さすがに亡くなった翌日に押しかけるようなマネは、しないほうがいいだろう・・・。

 

たぶん「他の家族はサッサと立ち直って、自分だけがお父さんの死を悲しんでる」

みたいなことを言っていた気がする。他の家族だってつらくないわけじゃないのに、

生活していかなくてはならないから、無理してでも日常に戻そうと努力してるのに、

自分ばっかりがお父さんを想ってると考えるなら大間違い!みたいなこと言ったかも。

 

父親を失(な)くした人に対し、あまりにも思い遣(や)りがない気もしないではないが

「他の家族だって同じ立場なのに、なんでそんな受け止め方?」と思ってしまった。

ただ、ひたすら泣いていればいいのか?それが故人の望むことなのか?

自分の悲しみにばかり目を向けてないで、他の人の心痛もちゃんと考えてほしかった。

同じ苦しみを背負っているはずなのに侮辱(ぶじょく)するなんてあんまりだと思った。

 

このあたりからOBさんは、どんどん精神状態が不安定気味になって、

精神病院への入退院を繰り返すようになっていった。

同じ出来事のようでも、受け止める器があっという間に溢れ出してしまう人もいる。

さらに自分にも、それを受け止めてあげる器の大きさは無(な)かった。ダメ友・・・。

ここから家族との関係も悪化して、OBさんにはしばらくツライ時期が続いた。