日記供養はじめました

捨てられない日記をひもといて、自分の過去を落としてゆきます

拗(ねじ)けた了見

2008.07.09(水)

遅番。昼に行っても、することないねぇ・・・。

午後、SNさんといろいろ話して、認識の違いに戸惑う。

でも基本、自分(私)が人のことばかり言い過ぎると。

「自分のほうに非がなかったか考えてみ(ろ)」と言われたが、

似たようなことを誰かからも言われたような・・・。

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SM(指導員)さんから「今日の(昼食?)おいしかった」と言われたけど、

よく考えると味付けは全部SNさんがやってくれてて、自分は何もやってない。

(やったことと言えば)切っただけ、揚げただけ。

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明日は中番なしみたいなものだから、少しでも残業して切って行こうと思ってたけど、

そんな感じじゃなくて帰って来ちゃった。

けど既(すで)に「終わらないのでは・・・」と不安。

タカ(高)をくく(括)っては、いつも痛い目にあ(遭)う・・・。

 

SNさんも給食会議で槍玉(やりだま)に挙(あ)げられたり、

自分と同じような鬱屈(うっくつ)を抱(かか)えていると思い込んでいたけれど、

思った以上に前向きだったし、タフだった。

 

自分なら「どうにかして困らせるために、わざと難しいメニューの日に当たるよう、

嫌がらせをしている」と受け止める所を、SNさんは「自分を鍛えるために、

挑戦し甲斐(がい)のあるメニューを持って来てくれている」と捉(とら)えていた。

そりゃ、こんな気概(きがい)のある人から見たら、自分なんかネガティブの

塊(かたまり)。一緒にいるだけでテンションが下がるような人間は嫌われて当然。

 

でも、この時に遡(さかのぼ)って「そんなんじゃダメだよ!もっとSNさんみたいに

前向きに考えなきゃ!」と自分にアドバイスするチャンスをもらえたとしても、

「そんなん言われたって出来ねーよ!」と、ますます孤立を深めただけだろう。

生まれもっての悲観主義。簡単に塗り替えられるなら、この世の誰も苦労はしない。

 

親から「人の悪口を言ったら、自分も悪口を言われる人になる」と言われ続けて、

他人の噂(うわさ)話にはあまり乗っからないようにしてきたつもりだったのに、

いつの間にか人の批判ばかりする人間になってしまっていたなんて。悲しい・・・。

 

 

2008.07.10(木)

早番。(仕事が間に合わないのが)こわ(怖)くて眠れない。5時より早く行った。

小さい子のお弁当だけだと少しはラク?初めて食事より前に仕込みに入れた。

おかずがラタトゥイユなのも助かった。しかしここからが・・(まずかった)。

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ひじき(鹿尾菜)が見つからなくて聞いたら下にあり、

とろろ(薯蕷)昆布が見つからないと思ったら、あおさ(石蓴)の後ろにあるし。

TKさんが引継ぎの時「聞くな!」と言わんばかりで。生協(の宅配)が来た時に

手伝うべきなんだろうけれど、余裕がない。でも任(まか)せっぱなしじゃいかんよね。

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かばやき(蒲焼)丼、思ったよりまともにできた(つもり)。肉じゃがはグズグズだが。

鶏つくね、ゆ(茹)でるとばかり思っていたら、HRさんが揚げてくださって、びっくり。

さすがだ。思いつきもしなかった。勉強になります。どうもありがとうございました。

帰り、大森まで行って、何も収穫はなく。

 

揚げ物は苦手だから、自分では絶対にやろうと思わなかったはず。

その工程を手間と思わないHRさんに、尊敬すら覚えたことだろう。

 

とにかく探し物が見つからない。「どんどん時間がなくなっていく・・・」という

焦りのせいもあるのか、探しても探しても見つからず、「聞いたほうが早い!」

とTKさんに何度も聞きまくったせいで、TKさんをうんざりさせた。ごめんなさい。

 

 

2008.07.11(金)

連休1日目。母と渋谷で待ち合わせ。(梅丘)美登利寿司の開店が、

てっき(適)り11時半だと思っていたら11時だったって。

(母が先に)並んで待っていてくれたおかげで、行ったらすぐに(店内に)入れた。

えび(海老)のサラダがなくなっちゃってて、残念。

たくさん行列しているし、早目に(切り上げて)店を出た。少し座ってから新宿へ。

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伊勢丹を見ているうちにハライタ。チビ(っと)下痢。トイレが混んでなくてよかった。

そのあと、副都心線ができて地下から(新宿)タカシマヤに行けるようになったことを

母から聞かされ、地下道を通ってタカシマヤへ。雨の日は便利。

上(の階)からいろいろ見た。だんだん歩き疲れてきたが、デザートのおいしそうな

店が見つからず(新宿)ルミネ→(小田急)ハルクまで。抹茶と小豆のパフェを食べた。

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母が外食に対して前向きになってきたみたいで、よい傾向。

でも(1人でも)家でちゃんと料理しているところがエラ(偉)イ。

自分も家でいろいろ(料理の)実験(研究)しないとねぇ。

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母と別れたあと、電池を買って、(まんが喫茶)マンボーで30分ネットを見た。

大森に帰って、さらに1hネットを見たが、料理の講習会、なかなか探せない・・・。

ぱど(地域情報誌)に200円引券がついていることを発見したので、また行ってみよう。

セブン(イレブン)でいろいろ買って帰って、食べた。

 

母が、なかなか外に出たがらなかったけれど、自分の誕生日もあったから、

無理して出て来てくれたのかも。でも、よく考えると、この時点で75.5歳くらい。

30代の自分でも歩き疲れるくらいなんだから、老体にはより堪(こた)えたはず。

このあと体調が悪化して入院もするし。労(いたわ)りが足りなくて、ごめんなさい。